ALWAYS四丁目 ギドラのお城

昭和の映画とテレビと漫画やその他の話題とクイズやゲームで楽しむブログです

「ゴジラ」原点 水爆の恐怖 宝田明さんが   映画ファンに訴える平和

宝田明さんがG-FESTで戦争体験を語る

アメリシカゴオヘア国際空港から程近いイリノイ州ローズモントで毎夏、世界最大のゴジラファンの祭典といわれるG-FEST(Gフェスト)が開かれます。昨年は25周年記念で盛り上がり今年は26回目。7月12~14日の3日間の会期中に全米各地や欧州などから約1万人が集まり、怪獣の仮装コンテストなど様々な催しが行われました。

中でも最高の盛り上がりを見せたのはゲストに招かれた俳優の宝田明が開会式のステージに登場した時でした。「アイアム・スティル・アライブ!(僕はまだ元気で生きているよ)宝田が笑顔で呼びかけると会場に詰め掛けた子供から中高年まで幅広い年齢層のファンが歓喜の叫びを上げました。

f:id:ghidorahcula:20190926015901j:plain

本多猪四郎が監督したゴジラ第1作が公開されたのは今から65年前の1954年。この作品に主演し、2004年のゴジラ FINAL WARSまでのゴジラシリーズ6本に出演している宝田は、まさにゴジラ映画のレジェンドという称号がふさわしい大スターだ。サイン会には連日、長蛇の列が続いた。

ファンとの交流で明るく快活な姿を見せていた宝田の様子が一変したのはトークショーでした。アメリカ人の司会者が、満州(現中国東北部)生まれである事を紹介した後、映画界入りの動機を質問すると「その前に話しておきたい事がある」と断り、自身の戦争体験を語り始めた。

f:id:ghidorahcula:20190926015920j:plain

父親が戦前の南満州鉄道に勤務。ハルビンで家族と共に暮らしていた宝田は11歳の時に終戦を迎えた。「途端にソ連軍が押し寄せて来て町を占拠し略奪の限りを尽くすのを目撃しました。小学生だった僕も強制使役に駆り出され巨大な石炭の山でアリのように働かされました」

そんなある日、貨車で連行されていく日本兵を見た宝田は行方が分からなくなっていた兄が見つかるかも知れないと思い、貨車に近付いた。「見回りのソ連兵がいきなり銃を撃ち始めた。必死で家に逃げ帰りましたが脇腹を撃たれ血だらけ。病院はやっていないし薬もない。数日後、元軍医という人が「傷が腐っている」と言って裁縫用のはさみを焼き、麻酔なしで腹を切って弾を取り出してくれました」

f:id:ghidorahcula:20190926015941j:plain

身振り手振りを交えて臨場感たっぷりの話に聴衆が引き込まれていく。「人間の肉を切るとジョリっと音がするんです。絶叫しました。握りしめていたベッドの柵が曲がっていました」。会場のあちこちから悲鳴が上がるが宝田の話はさらに続く。

主演したゴジラ第1作は、その年にアメリビキニ環礁で行った水爆実験で日本のマグロ漁船第五福竜丸が被ばくした恐怖から生まれた事。従って作品には反核のメッセージが強く流れている事。「でも日本から数年後にアメリカで公開されたゴジラアメリにとって都合の悪い部分がずたずたに切られ、反核的な部分が全く無くなってしまったのです」

アメリへの批判とも取れる語りにじっと聞き入る人々。ただ、アメリには広島、長崎への原爆投下は第二次大戦を終結させるために必要だったと肯定する人も存在する。こうした発言に反発は無かったのだろうか?「僕は2010年から計4回、Gフェストに招かれるたびにこの話をしていますが、ブーイングを受けた事は一度もない。大切なのは周りを気にしすぎず、自分の意見を堂々と言う事です」

f:id:ghidorahcula:20190926020106j:plain

ゴジラ主演の前年、東宝に入社した宝田は、日本映画の黄金時代にスケールの大きい二枚目スターとして活躍。1960年代半ばにミュージカルに進出し、風と共に去りぬレット・バトラー役などで人気を集めて来た。常にスポットを浴びて来た宝田が戦争体験を積極的に話し始めたのは70歳を超えた頃からだと言う。

「撃たれた傷痕は今でも湿度や温度の変化でうずきます。そうした戦争の実態や日本人が体験した核兵器の悲惨さを、怖さを知らない人たちにゴジラを通じて話していかねばと思いました。ゴジラも水爆の被爆者ですからね」

f:id:ghidorahcula:20190926020133j:plain

Gフェストの2日目、宝田生涯貢献賞が贈られた。主催者代表のJ・D・リーからシカゴの摩天楼をデザインしたトロフィーを受け取った宝田は涙ぐみながら感謝の言葉を述べた。ゴジラ・イズ・マイ・クラスメイト(ゴジラは僕の同級生)」。こんなに多くの人がゴジラを愛し、俳優宝田明を愛してくれるなんて・・・」

宝田は左手に黒いオニキスの指輪をしている。「満州の石炭の色なんです。不思議なことに歳を取って朝方に満州の夢を見るようになりました。この指輪を見るたびに、戦争は二度としてはならないと思います。

                      以上、新聞に載っていた記事です。

 

f:id:ghidorahcula:20190926020153j:plain

 

Gフェストは毎年7月にシカゴ市郊外のローズモント市で三日間開催される世界最大の日本の怪獣映画ファンの祭典。世界各地から熱心なファンが集い、昭和のゴジラガメラ映画の上映はもちろん、ゲストによる講演とサイン会、特撮技術に関する研究発表、日本の映像文化をテーマにしたパネル・ディスカッション、怪獣着ぐるみパレード、書籍・DVD・フィギュアの販売が行われます。

毎年日本からゴジラや怪獣映画・テレビに出演した俳優、監督や関係者らをゲストとして迎えています。過去にはウルトラQウルトラマンのヒロイン桜井浩子さんや、初代ウルトラマンとしてキャラクターを確立させた古谷敏さん、特撮には欠かせないミニチュアの町並みを作り上げた寒河江さん、キングコングの逆襲」のヒロイン、リンダ・ミラーさん、ウルトラシリーズゴジラシリーズで助監督を務めた石井良和さん、平成ゴジラシリーズのヒロインで元女優の小高恵美さんなども招かれました。

f:id:ghidorahcula:20190926020234j:plain

26回目の今年は特別ゲストとして宝田明さんをはじめ、ガメラを復活させた金子修介監督、ジオラマの大家・山田卓司氏、ゴジラシリーズウルトラマンシリーズで助監督や監督を務めた石井良和氏、上智大学に留学中の1960年代に「海底大戦争「宇宙大怪獣ギララ」などに出演してスターとなったペギー・ニールさんなどが出席しました。