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「ゴジラ」とその時代 ゴジラ誕生の秘密①

ゴジラとその時代 第1回 ゴジラ誕生の秘密①

今や世界中の人々に愛されているゴジラ映画。その記念すべき第1作が生まれたきっかけは、戦後の日本映画輸出施策の潮流に乗って東宝が取り組んだ国際合作映画の企画だった。

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昭和27年(1952)、サンフランシスコ講和条約が発効して連合軍による日本占領政策も終了したので、東宝は日本映画の輸出に本腰を入れ始めた。10月16日には小林一三(こばやしいちぞう)東宝社長が約2ヶ月の欧米視察旅行に出発し、11月25日には東宝本社に「輸出映画選考委員会」、本社営業本部配給部内に「輸出課」が新設され、海外市場の調査等を進めて販路の積極的な開拓をするようになった。

翌年には東宝および日本の映画各社の間で東南アジア向けの輸出の機運も高まり、東南アジア映画祭の年1回開催と主催団体「東南アジア映画製作者連盟」の結成が決定され、東南アジア映画人の来日が相次いだ。8月7日にはインドネシアナショナル・フィルム(通称ペルフィニ)社長ウスマール・イスマイルが来日し、東宝との間に合作映画2本を製作する話が浮上して、早くも8月17日には東宝森岩雄(もりいわお)制作本部長とイスマイルの間で契約が調印された。

やがて第1作としてインドネシア独立運動を主題とした「榮光のかげに」の製作が決定した。製作は田中友幸(たなかともゆき)、脚本は梅田晴夫(うめだはるお)谷口千吉(たにぐちせんきち)、監督には谷口千吉、撮影は完倉泰一(かんくらたいいち)と決定、日本将校と日イ混血娘、インドネシアの熱血青年とその恋人を軸に、インドネシア独立とそれにまつわる恋愛模様を描く活劇の線を狙っていた。

昭和29年2月には田中友幸プロデューサーと谷口千吉監督はジャカルタへ赴き台本の打合せと製作の本契約調印を完了した。撮影隊は4月出発の予定で準備を進めていたが、3月25日になってインドネシア外務大臣から「ストーリーのアイディアに同意できぬゆえ、提携製作に承認を与える事が出来ない」との通告をペルフィニが受取り、映画の製作は不可能となってしまった。

東宝ペルフィニは4月5日共同声明を発表、インドネシア外務省が脚本のテーマを理由に提携映画製作を許可せず、契約が実行不可能となった事を告げると共に、その背後には日・イ両国間にある未解決の賠償問題があると言う見解を示した。

田中友幸プロデューサーは製作中止で宙に浮いた編成スタッフを生かすため、急ぎ代替企画を考え始めた。それまでインドネシアの海が念頭にあった田中は、3月16日に新聞報道された第五福竜丸事件」が頭に浮かんだ。アメリカが3月1日にマーシャル群島のビキニ環礁で行った水爆実験の死の灰が予想以上に広範な海域に落下したため、マグロ漁船第五福竜丸の乗組員が被曝を受けて大きな社会問題となった事件だ。

田中「仮にビキニ環礁近くの海底に恐竜が眠っていて、水爆実験のショックで眼を覚まし異常に発達し、特殊な性能をもって日本へ上陸したらどうなるか」と考えて、海底二万哩から来た大怪獣」という企画を生み出した。これがゴジラ誕生のきっかけへと繋がっていく。

                   週刊ゴジラをつくるより  文 鈴木亘

 

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