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「ゴジラ」とその時代 ゴジラ誕生の秘密②    fpdさんが15,000コメントに到達する日は?

ゴジラとその時代 第2回 ゴジラ誕生の秘密②

65年前の11月3日はゴジラが初公開された日でゴジラ誕生の日」と位置付けられています。半世紀をとうに超えた現在でも世界的な人気を誇る名作が如何にして生まれたのか、当時の動きを詳細に綴ったゴジラ誕生の秘密」の第2回です。

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昭和29年4月、インドネシアとの合作「榮光のかげに」が製作中止となって代替企画を考えていたプロデューサーの田中友幸第五福竜丸被曝事件から海底二万哩から来た大怪獣」企画した。この仮題は前年(1953年)アメリカで公開された「原子怪獣現わる」から連想したのだろう。北極圏で行われた水爆実験の後、太古の恐竜と思われる怪物が出現してニューヨークに上陸するという物語で、田中の発想はここからも少なからぬ影響を受けていると思われる。

東宝森岩雄制作本部長の英断でこの大胆な企画は許可されたが、中止になった「榮光のかげに」谷口千吉監督(先日亡くなられた八千草薫さんの夫) はこの企画に加わらず、代わりに三島由紀夫の原作による潮騒映画化の準備に入り、制作の田中友幸、撮影の完倉泰一、照明の石川緑郎ら主だった顔ぶれを「榮光のかげに」から引き継いで、こちらが実質的な代替作品となった。

一方、海底二万哩から来た大怪獣」の企画は本多猪四郎(ほんだいしろう) 監督に白羽の矢が立った。本多監督はこの年の2月に田中友幸制作による戦争映画「さらばラバウルを完成させた後、3月からは「牧師三四郎という作品を準備していたが製作中止となり、身体が空いていたので田中の要請に応えてこの作品に取り組むことになった。

そしてストーリーの検討が始まったが、ここで重要な役割を果たしたのが東宝文芸部だ。昭和26年に東宝本社の制作本部が新設されて本部長に森岩雄が就任し、文芸部はその制作本部直轄となって、映画の原作捜しやプロデューサーの企画立案・進行のための補佐や資料検索などを担っていた。例えば橋本忍が脚本を書いた多猪四郎監督の「太平洋の鷲」(昭和28年)黒澤明監督の七人の侍(昭和29年) にしても、その礎となった膨大な文献や資料の大部分を揃えたのは東宝文芸部であり、その貢献は非常に大きい。

海底二万哩から来た大怪獣」の企画が始まった頃の文芸部長は森栄晃(もりえいこう) は2010年に刊行された「日本映画黄金期の影武者たち」に寄せた「傑作シナリオはこうして生まれた」の中で、当時の状況について書いている。企画内容に迷っていた頃、講談社の雑誌少年倶楽部大坪編集長を紹介されたのが突破口になったという。

大坪編集長のアドバイスにより講談社資料室で発掘したのが香山滋(かやましげる) の作品でした。香山は当時から文明、科学の将来を予知するようなユニークな作品を少年向けに執筆していた。海底大地震によって長い眠りから目覚めた怪獣が大暴れする、当時としてはまったく斬新な作品だった。が注目したのは昭和27年に少年向けの雑誌探偵王3月号に掲載されたジーラ・モンスター」だ。

こうして少しずつゴジラ誕生への道が開かれて行きました。

                       週刊ゴジラをつくるより抜粋

 

fpdさんが前人未踏の15,000コメントに到達するのはいつ?

通算コメント数で首位を走るfpdさん四丁目初の15,000コメントに近付いています。fpdさんが持っている数々の記録の中でも最高位に位置する記録ですね。15,000コメントなんて凄過ぎる・・・(笑) その到達日を下記の3日から8日までの候補日から選んで予想して下さい。締切りは到達を発表する前日までですから遅れないようにね♪

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 予想はこちらの記事へコメントして下さい。「予想しました」も忘れないように。

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