ALWAYS四丁目 ギドラのお城

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四丁目の懐かしの住民 トントンさん

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トントンさんあずさゆみさん トントンさのアイコン

 

1週間前の1月22日は、四丁目の懐かしき住民トントンさん(正式にはsugi⇒トントン)お誕生日でした。昭和22年の生まれですから私より4歳上(学年では5年上)で、モモタロウさんが登場するまでは四丁目の最年長で、私と同い年のブロ友のあずさゆみさんを通じて知り合いました。

トントンさんは歌手を志して芸能界入りしますが、歌手だけは食べていけないので俳優として映画の仕事にも携わります。小さな役ばかりで顔が分かる作品は少ないと笑っていましたが、黄金期の日活で多くのスターたちと親交を深めて来ました。

その中でも特に親しく付き合っていたのが、川地民夫さん大浜詩郎さんです。川地民夫さんは人間的に素晴らしく尊敬する人だったそうで、赤木圭一郎さんとの数々のエピソードを聞かされて憧れたそうです。大浜詩郎さんとは同い年で親友だったのですが、62歳で亡くなられて淋しい思いをしていると何度も聞かされました。川地民夫さんも4年前に亡くなられましたね。

和泉雅子さんとはずっと親交が続いていて、毎年の年賀状と2月にはバレンタインデーのチョコが直筆の手紙ともに送られて来て、それを嬉しそうにブログに載せていましたね。

和泉雅子さんは現在は北海道士別市東京の実家を行き来(主に士別市で暮らしています)していて、4~5年前でしたがトントンさんと久しぶりに5月に東京で会う事になったと聞いたので、私も会いたいと冗談半分で言うと、初めて紹介する人は事前にどんな人かを伝えておいて、OKとなれば会えるよとトントンさんから返事がありました。

「じゃあ伝えてみて」と軽い気持ちで頼みましたが、本当に会えるとは思っていなかったところ、OKとなったので一緒に行こうとなったのですね♪ 和泉雅子さんは好きな女優だったので楽しみにしていましたが、直前になって弟さんが事故で亡くなり、お母さんも病気で入院する事になり、トントンさんと会える時間が無くなったのです。また次の機会にと残念ながら実現しませんでした。

吉永小百合さんとも親しくて、晩年になっても手紙を出すと必ず返事が来たそうです。トントンさんを「〇〇ちゃん」(トントンさんの本名)と呼んでくれる年上のお姉さんといった間柄で、遊びが過ぎるトントンさんを「そんな無茶をしてはダメでしょ」と叱ってくれたそうです。

日活の俳優たちは映画会社が倒産して離れ離れになった後も、同窓会のような形で集まってパーティを催していたそうです。トントンさんにも案内状が届いて何回か出席しました。

マスコミには非公開の集まりで和気あいあいのパーティは、遠慮なしの無礼講で江木俊夫さんは司会を任せられていたのに酔っぱらってれろれろになったそうです。小林旭さん宍戸錠さん、松原智恵子さんなどの大物スターも参加して懐かしい話に花が咲いたとの事。それらの写真をトントンさんに見せて貰いましたが、非公開の集まりなのでブログへは載せていません。

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トントンさんは日本中の有名な観光地で行ってない所は無いと豪語するほどの遊び人で、奥さんを岡山県にほったらかしにしていたので、晩年は機嫌を取りながら慎ましく暮らしていましたね。四丁クイズ当選して私がお菓子を送ると、奥さんがとても喜んだので助かると話してくれました(笑)

大相撲の予想クイズで2回の優勝など、四丁目に数々の足跡を残してトントンさんヤフーブログの頃に亡くなられました。